六人の愛と恋について

「ちょっと、執事。……私の執事はいる?」

「おはようございます、リリイ様。本日も変わらず、思わず触れて、鷲掴みにして、水の張ったバスタブへ頭ごと沈めてしまいたいほど美しい御髪です。宜しければ私が梳りましょうか?」

「おはよう、キユウ。お世辞と気遣いは要らないわよ、まったく。口を開けば貴方は物騒な事ばっかりね」

「鋭い櫛の歯に神経毒を塗り込む、というのも大変ロマンチックであると思いますよ」

「自分でやるから結構。貴方はそこに立って、今日の予定を読み上げながら紅茶の準備をして頂戴。一杯頂かないと目も覚めないわ」

「仰せの通りに。しかし……奥様は僕の、この衝動をどうも窘められないのですか? すぐさま言葉にせず、考える間の挟める筆談にすればまだ、まともな事だけを申し上げられるのに……」

「それこそ余計な気遣いね。執事、使用人は道具よ。……人間は道具の出来栄えにけちをつける事もできるし、自分の扱いやすいよう手を加えたりもできる。でもね。本当によい使い手は、どんな道具でもありのままを使いこなせるものなのだわ。だから貴方はそのままでいいの。そのままがいいの。こんな厄介な自分を扱いこなした主人が居たのだと、感謝しながら記憶に留めておきなさい。いつまでも」

「――はい。……はい、奥様。必ずや……仰せの通りに」

 

「……いま、なんと仰ったのですか、デセオさま……」

「多分、お前は吾輩の手にかかるだろう。邪神の妻になった事を後悔しているか? そう問うたのだ」

「いいえ……ちっとも。わたしは……アオイは、御前に捧げられた時に…人として、とっくに死んでいるのですわ。だからこれは、目覚める間際に見る短い夢のようなもの……。たまたま生かして頂けている今も……戯れに妻として迎えて頂けた事も。どの道、人の生など……かみさまからしたら、泡沫のようなものではなくて?」

「ははあ。ううん。そうだなあ。……ネガティブが一周回ってポジティブだな、この女は。参った。そうまで悲観的になられると逆に幸せにしてやりたくなる! 狡いぞ!」

「まるで……子供みたい。……なら、幸せに……どうぞ、幸せにしてやってくださいませね」

「おうとも、心得た。ならばお前もひとつ、ゆめ忘れるな。もしこの夢を終わらせたくなったら……吾輩を裏切るがいい。寵愛すると決めた以上、こちらから手を切る事はない、だからお終いの合図はお前からだ。必ずだぞ。約束だ、愛している」

 

「さて……逃避行もここまでのようね。シサイ、最初の約束を覚えている? どちらかが動けなくなったら、動ける方がその肉を喰って生き延びる。根競べはどうやら私の負けみたい。……早く、異端者達が追いつく前に」

「そんな、事を……! 貴女はまだ生きている、立って、逃げる事ができます……私が肩を貸しますから、どうか諦めないでください……!」

「そうしたいのは山々だけれど。実を言うと、もう目がほとんど見えていないの。さっきの交戦で、ちょっと血を零し過ぎたみたいね。魔獣達もごっそり削られてしまったし……私を庇いながら進んだら、じきに貴方の身体も崩れ始めてしまうわ。同じような仕組みで体ができているから、わかるのよ。魔力の調達、精気の補充が必要だって。だから、この体を、このガラクタを利用して生き延びて」

「嫌です、嫌だ……私は……貴女を……君を、愛しているんだ。恋人のように、家族のように。……次の街の教会にまで辿り着ければ何とかなる、そこで新しい生活を始めようって話したじゃないか、その約束すらなくなってしまったら……私には今度こそ本当に、なにも残らない……!」

「――やれやれ、困ったひとね。本当に……困ったひと。じゃあ、しょうがない。いつだって貴方ができない事は私が代わりにやってあげてきたんだもの。今回も一緒ね」

「……ローザ? 一体なにを……」

「彼方には希望の星、我が手へ剣を。過たず首を落とす。……幸せにね、私の大事なひと」

「あ――、ローザ! そんな、そんな、そんな……! 嘘だ、なんでこんな……どうして、それなら……どうして私を殺してくれなかったんだ! ああ、君の……君の死を……首を。血を、肉を。……この上、その祈りすら……無駄になど、できるものか。これが咎か。これが報いか。我が信仰の礎、形なきものよ……これすらも罪深き出自への試練と、あなたは定められたのか」

 

「もうおいでになるの」

「はい。私は行かねばなりません」

「……そう。結局、わたくしを連れて行っては下さらないのね」

「これより先は険しい道です。か弱いダリア嬢を、とてもそんな場所へはお連れできません」

「ふふ。貴方が出立した後、死して小舟に乗って川を下ったら、どうか笑ってくださいな。女の執念とは根深いものでしてよ」

「縁起でもない事を仰らないでください。第一、物言わぬ御体になられては二度と、このように言葉を交わす事も叶いますまい。私の冒険譚を聞いてくださる方が居なくなってしまいますな。貴女の花の綻ぶような笑顔を見る事ができなくなってしまうと考えるだけで、胸が張り裂けてしまいそうだ」

「……騎士の方に、それだけ言わせられたら上等ね。意地の悪い事を申し上げましたわ、どうぞお忘れになって。涙で視界が滲んでいる間に、どうぞ行ってしまわれて。二度と、ここへはお戻りにならないで」

「――さて、確実にお約束できる事は一つだけです。では、失礼を。今までお世話になりました。私は貴女を。心からお慕いしております」

「そんなの……! そんなの……今更だわ。全て、遅すぎるわ。こんなに辛いのなら……どうせ終わりが来るのなら、恋などしなければ良かった!」

「それは違います。道はずっとなだらかに続くもの、続く限りいつか再び交わるもの。その途上で没しようとも、道筋はけして途切れない。今ここに至るまでおよそ二百年と少し。……ダリア。私と貴女は、これで三度目の恋をした事になる。そしてまた、次も必ずあるでしょう。必ず私が貴女をみつけてみせる。これまでと、同じように」

 

「桜の季節も、もうじき終わりよなあ。して、リヒト。ぬしはこれから何処へゆく?」

「境目を踏み越えて出て行った邪まの神を追って。どうせあの輩は碌な事をしないだろう。勧善懲悪。オレは自らの務めを果たしにいく」

「まあそうよな。ぬしはそういう、融通の利かん男だ。そとの事など気にせず、妾と鞠でもつきながら一緒に遊んでいれば楽しかろうに」

「お前は楽しいだろうさ」

「物の罪を定めるには物の目が。人の罪を量るには人の目が必要になる。ただ絡繰り仕掛けのように善し悪しの天秤を使うだけなら、ぬしは人でなしになった方が楽なのに。ぬしは善心を重んじる。即ち心を諦めぬ。それには容易く傷がつくだろうに。斯様な弱味、持たぬ方が楽なのだぞ?」

「苦楽が行動を決定する物差しじゃあないんだ」

「……むう。これだから、おのこというのは困るのう!」

「悪いな」

「謝るくらいなら言うでないわ、莫迦者。もうよい。サクラはここで待っておる。桃源郷は終わらぬ春よ。いつ帰ってこようと変わらぬ枝ぶりで迎えようぞ。のう、リヒト。……だけどね? さみしかったら、一枝だけでも。手折っていっても、いいのよ」

「桜を切る莫迦ではないつもりでな。その気持ちだけ、貰っていくさ。なに。永劫の別れでもなし。祀られるオレ達にとっては永遠さえも、刹那の瞬きのようなものだろうよ。気負わず。期待せず。昼寝でもしながら帰りを待っていればいい」

 

「……カガミ君。とても不思議な夢を見たんだけど、聞いてくれるかしら」

「不思議な夢? ユスラさんがそういう話するの珍しいですね。どうぞ、どうぞ。俺なんかで良ければいくらでも聞きますよ」

「見知った人、聞いた事のある名前が出てくるのに……なんだか遠い昔のお話を読んでいるような。そんな夢だったわ。終わってしまって……もう二度と取り返せないような寂しさだけが、温もりとして名残を惜しんでいるの。……カガミ君は、そんな夢を見た事がある?」

「んー……俺はない、かな。たぶん……。ユスラさんは、その夢を見て、かなしかった?」

「いえ――どうかしら。哀しくはなかったわね。ああ、でも」

 

「……ちょっとだけ、恋をしたくなった。かもね?」