積み木のお城

 潮騒が聞こえる。白い砂を蹴って少年は駆けた。一抱えもある花束のほとんどが道端で見かける他愛のないものだったが、その内の一輪は価値物だ。

 本物の鈴蘭だ。

 それと同じ名前を持つ友達が待っている。とうに打ち捨てられた海辺の街、砂上の城塞。息を弾ませて辿り着いた古城の異様を、少年は深呼吸と共に仰ぐ。

 

 喉を反らして見上げても、唐突に視界へ現れる建造物の全てを視界へ収める事は不可能だった。もし目玉が二つ以上あれば、一度に全て見られるかもしれないが。

 絵本に出てくる白亜の城、かつてはさぞかし絵になる名城だったのだろうが、今や潮風に褪せて見る影もない。

 いつしかこの城塞には、どこからか流れ着いて来た素性の分からぬ人間達が棲みつくようになっていた。ひとり、またひとりと流浪の民を呼んで、彼らはここで働き、ここで恋をして、ここで死んでいく。

 住人達が増えるにつれて好き勝手に増改築を続けた末、あっちこっちから竜の頭のような尖塔が突き出し、四角い部屋が上下左右に積み上げられた有様。

 積み木のお城に近づいちゃいけないよ。

 少年の親代わりである紳士は事ある毎に言い含めていた。

 あのお城には、思い出しかないのだからね。

 

 先生と尊敬している紳士の言う事はいつだって正しい。彼が天気を見立てれば必ず当たったし、寒い日に靴下を履かないと風邪を引くという忠告を無視したら、本当に熱を出した。

 だから先生がそう言うのなら、このお城はよくないものなのだろう。分かっていても、少年は自分を急き立てる好奇心に逆らえなかった。

 

 朽ち果て、扉だけ持ち去られた城門を潜る。丁度、お城の塔の天辺に無理やりつけられた巨大な鳩時計が鳴り響いた。正午。きっかり十二回鳴き声を響かせ、引っ込む巨鳩の仕掛けに応じて、城塞内の人々が次々と手元の仕事を放り出して家屋へ姿を消していく。

 彼らの大半はこの時間に昼食をとるのだ。

 往来から大人の目が無くなるのを狙って、少年は小走りに路地裏へと入り込んでいく。ここを抜ければもうすぐ――不意に、視界が真っ黒に染まったと思ったら、どん、と柔らかい壁へぶつかってしまった。

「おい、危ないじゃないか!」

 路地の入口から出てきた男と正面衝突したらしい。跳ね飛ばされて尻餅をついた拍子に、ばらばらと抱えていた花が散らばってしまった。

「まったく、危ないじゃないか。お前、口がきけないのか、小僧? まったく、危ないったらありゃしないじゃないか」

 あらかじめ吹き込まれた音声を切り貼りして繰り返す、玩具にも似た声だ。テディベアの被り物をしたその男は、勇ましく両腕を振りながら、呆然とする子供を長い脚で跨ぎ越して去っていく。腰につけた革袋から、ちゃらちゃらと小銭の踊る音がした。

 のろのろと花をかき集めたが、どうしてもあの白いスズランだけがみつからない。黄色いチューリップも、桃色のペチュニアもあるのに、白いスズランはどこを探し回ってもなかったのだ。

 

 

「それで、僕のためにあちこち探し回ってくれたの?」

 友人の元へやってきた時には、少年はすっかり意気消沈してしまっていた。他の花も萎れ始めていたし、なにより一番見せたかったあの花がないのでは全て無価値に思える。

 真っ赤な格子の内側、道の側へ張り出した小部屋に座り込んでいるドレス姿の友人は、柵越しに渡された花をそれぞれ見繕いながら、硝子の花瓶へさしていった。背の高いものは金色の鋏でぱちんと切って、余分な葉は落として。活ける手は慣れた様子で迷わない。さらさらと頬のあたりを滑る白銀の長い髪が、ほんの少し身じろぐ度に煌めいて美しかった。

「スズランがなくっても、君が選んでくれた花はどれも綺麗じゃないか」

 ほら、と掲げられた器の中、水を吸い上げ始めた花々はほんの少し元気を取り戻したようにも見える。

 少年は頷くと、足元へ落ちていた木の棒を拾った。しゃがんだまま何かを描き始めれば、友も気づいてそっと格子側に寄って来る。

「……熊、かな?」

 砂地を引っ掻いて表された絵へ、不思議そうな感想が飛んだ。問いかける口調だったのは、熊の頭を持っているのに、首から下はシャツとズボンをだらしなく着崩した、人間の男だったからだ。

 奇天烈な男の腹へ向かい、横向きの矢印を引っ張る。ベクトルの起点に描いたのは花を抱えた少年、しっかりスズランも目立つように描き加えた。

「ああ。その熊男とぶつかってしまったんだね」

 必死に頷くと、図画の少年に手を伸ばしてスズランだけを消した。これが大事なお土産を失くしてしまった顛末。顔の前で両手を合わせてぺこりと頭を下げた。

「いいんだよ。きっと次は上手く持ってきてくれるでしょう? これでまた、君はここへ来なければならない理由ができた訳だ」

 てっきり落胆されるかと思ったが、その逆だった。楽しそうな友人の様子に目をまたたかせたが、期待を込めた笑顔に応じるべく口元を緩めた。

「ほら、約束だよ。絶対にまた僕のところへ来て」

 柵の隙間から伸ばされた白い手。立てられた小指に、少年も自らの指を絡めた。

「約束したからね」

 小部屋の隅っこに設えられた扉が開く――鈴蘭、そろそろご飯を食べにお行き、さっさとしないと午後のお勤めに間に合わないよ。

「行かなくちゃ、姐さんが呼んでる」

 染みひとつない真っ白なワンピースをふんわり揺らして立ち上がる。その拍子に手も解けた。結ばれた約束がそこへ残っているかと確かめるように、友は僅かに頬を染めて右手の小指を左手できゅっと握った。

 

 約束をしたから。

 

 

「ああ、来てくれたんだね」

 友は今日も白いドレスに身を包み、赤い格子越しにやって来た青年を見た。

 あれからゆうに十数年が経っている。子供時分は大人びて見えた相手は成人すらしていない。

 ここに在るのは全て思い出。過去の産物、繰り返し上映されるモノクロの映画。

「スズランは持ってきてくれた?」

 抱えた花束を見下ろし、旅人はゆっくりと首を横に振った。

「今日も誰かにぶつかったんだね」

 頷く。

「……熊の被り物をした男だった」

 もはや問いかけではない、相手は確信している。筋書きを分かり切っているのだ。

 

「君もここの一部になった」

 囁く言葉は嬉しそうで、悲しそうで。

「つまり、誰かの思い出になりつつあるんだ。ここでなら僕ら、永遠に一緒にいられるよ」

 絶えず同じ事を繰り返しながら。

 例えば、世界が滅んでもこの物語は残るだろう。

 

「――でも、僕は本当に、それを望んでいたのかな」

 投げだした細い脚を擦りながら、夢現の狭間で呟く。紅を乗せた目元が、泣き腫らしているように見えた。

「わからないから、遂に君を閉じ込めるだけはできなかった。君はきちんと大人になって、自由にお城の内外を行き来して。旅を続けている」

 花を持ってきて欲しいとしか、この子は頼まなかった。

 ずっとここへ居てとは縋らなかった。

 永遠にも近い時間の中であっても、記憶は少しずつ擦り切れていく。再生される度に摩耗して、いつか、誰も思い出さなくなる。

「ああ。僕はきっと、それがこわかったんだな」

 

 小部屋の隅っこに設えられた扉が開く――鈴蘭、そろそろご飯を食べにお行き、さっさとしないと午後のお勤めに間に合わないよ。

「行かなくちゃ、姐さんが呼んでる」

 受け取った花束を花瓶の近くへ置き去りにして、不変の友は立ち上がった。

 あのね、とあえかな声が揺れた。

「叶えてくれなくってもいいんだよ。約束が、したかっただけだから」

 さよならよりも淡い挨拶を残して、開かれた扉を潜って姿を消してしまった。

 残された旅人は羽織っていた外套の内ポケットを探る。そこに忍ばせていたのは一輪のスズランだった。抱えているから、ぶつかった時に落としてしまうのだ。衣類の内側に隠しておけば誰にも盗られずこっそり持ってくる事ができる――というのは、実は少年時代から気づいていたのだが。

 終わらせたくなかったのは、彼も同じだったのだ。

 

 一際強い海風の中で花を掲げ、ぱっ、と手を放す。風に乗って飛び去る花を見送ってから、旅人は踵を返した。