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青空のおたより/不愛想な庭師と執事

 執事なんか要らないけど、手伝いを雇わないと息子どもがうるさくてね――目の前で煙草をふかす女主人は、長年庭の手入れに使う道具を握っていたせいで分厚くなった掌を擦り合わせてから、口端より紫煙を細く吐き出した。

 なよっちい見かけだが、ホネはありそうだ。ローボ、ちょいとそいつの教育を頼むよ。

 

 おかみさんとそんな話をしたのが数ヶ月前。まだそよぐ風が涼しく、春の花が瑞々しく咲き綻んでいた頃である。

 既に柔らかな春季の余韻はない。照りつける太陽、高い青空。今年も夏が来た。

 シャベルを担ぎ、背高の向日葵を見下ろしながら歩く。俯き加減の百合には後で水をやらなきゃいけない。首からかけた白いタオルで額の汗を拭うと、被っていた古い麦藁帽が傾いた。

 あいつに経過観察を任せている蓮はどうなっただろう。

 のしのし歩きながら向かったのは、水の音が聞こえる方向だ。人工的に作られた小さな池には一丁前にミニチュアの滝もある。中には小魚も放されており、一種のビオトープとしても機能している。手つかずの自然を模したビオトープでは食物連鎖の循環が成り立っており、一度仕組みが完成すれば人の手をほとんど借りずに生き物が繁殖していく。花だけでなく、この色とりどりの魚を目当てで買っていく客も多いのだ。

 執事は小池の縁にしゃがんで、ほろりと咲いた薄桃色の花の具合を観察していた。

「おい、黄色いの」

 相手が振り返る間も惜しく麦藁帽を脱ぐと、自分より一回りほど小さい奴の頭にずぼりと被せる。視界を塞がれ、案山子よろしくの風体になった相手は、ぴんと両手を前に出してまごまご何かを呟きかけた。

 それを制するように、ぐりぐりとネジを回す要領で、頭頂部を押さえた手首を捻る。

「あ、れ、ほ、ど、庭に出る時は日よけの帽子被れっつったろうが。ばか、あほ、まぬけ。水は? ちゃんと持ってきてンだろうな」

 遂には尻餅をついて、さながら溺れた人間が水面へ手をさし遣るように両手を挙げていた執事は、やがてこの上なく申し訳なさそうに両腕を交差させる。バツ印、つまり持ってきていないという事だろう。

「ったく、手の掛かる」

 腰に提げているバッグから口を付けていない二本目の水筒を出すと、へろりと脱力した執事の右手に握らせる。左手はようやく、帽子のつばを探り当てて視界を確保するところだった。

 立ち上がって砂埃を払う執事も身長が低い方じゃないんだろうが、俺の肩ほどまでしかない。奴曰く、自分より頭一つ分以上おおきな方は久しぶりに見ました、との事だった。

 

 ひょろひょろ、なよなよ。第一印象はそんな具合だった。柔らかそうな金髪に絶えず穏やかに笑っている翡翠色の瞳は、いかにも童話に出てくる苦労知らずな王子様《プリンス・チャーミング》のようだったが、じきに奴の本質の一端を垣間見た。

 最初は雑草抜きと簡単な花の間引きを指示するも、頼んだ仕事をこちらの予想より早く終わらせてくる。

 それじゃあと最初は任せるつもりのなかった力仕事を、ひょいひょいとこなす。堆肥の運搬、煉瓦積みに、その他諸々。

 どうも自分の体に無頓着なきらいはあるが、それ以外はそつなく、無駄なく。

 雇い主であるおかみさんにとっても、想像以上の働きぶりだったようだ。日々、食事を終えてから彼女の前で聞かせる成果報告、その登場人物へ、気づけば執事は当たり前のように存在している。奴の成長や、ささやかな失敗談を聞く時、老年を迎えた彼女が、まるで年端の行かない娘のように笑うのだ。

 

 それでもごく当然のように、奴をこのまま庭師として永年雇い入れようという話はしなかった。

 

 水面を見下ろし、色の変わった水草を取り除く執事の仕事を傍らで眺めながら考える。

 たぶん、こいつはこういう風に、何かを生かして育てる仕事へ、絶望的に向いていない。草花に注ぐ眼差しはどこまでも無機質だった。生石灰に水をかけると、化学反応で熱を発するような、そんな機械的な温もりなのだ。

 慈しむような手つきで植物に触れるのを何度目の当たりにしても、執事はどこかで銃かナイフ片手に他人を傷つけている方が似合っていると思えてしまう。あまりにも出来過ぎた慈愛の仕草が、かえってひた隠しにしている非道徳を浮き彫りにしている。おかみさんも、それに気づいているのだ。

 不向きな仕事もそれなりにこなせてしまう、という所がこいつの長所であり、生き辛さであるのだろう。だってこいつは執事だから。どれほど不得手だろうと、雇われた家で命令を果たすのが仕事なのだから。

 

『ローボさん』

 首にかけていた小さな黒板に、白いチョークで文字を書きつける執事の仕草で我に返った。

『そろそろ、お弁当を取って来て宜しいですか? 奥様もお呼びして、食事にしましょう』

 いそいそと文末に花の絵も描き始めた。要らないだろ、それ。

 頭の後ろを掻きながら頷きを返すと、さっそくチョークを仕舞って踵を返す。

 

 ああ、それでも。奴の本質が悪魔のようなもんでも、今は俺達の身内なのだ。

 

「おい」

 またも振り返るのを待たずに、むんずと奴のシャツの襟首を掴む。こちらを向かせて腕を回し、土嚢を運ぶのと同じ要領で軽々肩へ担ぐとそのまま歩き出した。

「お前が行くより、俺が歩いた方が早い。歩幅が違うからな」

 視界の隅でばたついた脚もやがて大人しくなった。手を置いている背中が微かに震える気配、どうやら一丁前に笑っているらしい。

 夏の快晴、ひと働きをした後の休憩時間、これほど平和な日常で何かが起こる訳がない。

 ひょっとして全ては杞憂で、こいつはただの執事で、しかしそうだったとしても。

 こいつと過ごす夏はこれが最初で最後であるのを、夏空よぎる飛行機雲が告げていた。