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彼等の決闘遊び/狂犬執事と執事

 三方の壁が鏡張りになった広いダンスルームに、荒々しい足音が響く。上等な仕立ての白いシャツ。大雑把に二の腕まで捲られた袖の下、腕の筋肉が一瞬生き物のように踊って、両手に握る大剣を引き寄せる。

 敏捷性の観点で言えば笑ってしまうほど鈍い動きだった。しかし、息もつかせぬ連撃だけが、標的を仕留める手段ではない。ただの一撃。ぎりぎりまで狙いを定め、引きつけ、待ち侘びた末の一斬で呆気なく決まる勝負もある。

 剣を握るP執事は短い金髪の下、マスカット色の瑞々しい瞳をひたりと前方からやってくる相手に据えて待った。こちらからも数歩踏み込んでから、最後の一歩は残しておいた。中腰に落とし重心を安定させ、目前まで決闘相手を待つ。

 額から汗が伝った。剣持つ執事はまばたきすらしない。時間にしておよそ数秒。

 短刀を逆手に握った相手が、その貧相な間合いへ踏み込む直前に。今まで残して、我慢しておいた一歩を自ら踏み込んだ。同時に振り上げた両腕、鎌首もたげる竜にも似た凶暴さで、鋼の塊が振り下ろされる。

 その時、剣を握る青年の口許には狂喜の笑みが浮かんでいた。今しも脳漿をぶちまけるだろう相手の無様を思って、目前まで迫った己が勝利を思って。どの道、たかだか指揮棒程度の長さのナイフに何ができるというのか。大剣の質量が勝っているのは誰の目にも明らかだ。これは切断よりも打撃に重点を置いて造られた凶器。下手に受け止めようとするなら、その細腕ごと圧して斬る。いなそうと試みるなら、力任せに刃を叩き付ける。避けようにも間に合うまい。

 獲った、やった、貰った! この無口な旧友には散々手を焼かされたが、今日の勝負は俺の勝ちだ!

 

 そこで、全ての予測は裏切られた。

 

 唸りを上げて空気を縦に裂き、迫りくる剣を前に、相手はたった一度だけ腕を横に振った。黒鉄の暴力に閃く白銀の軌跡。

 途端に、あれほどの重量を誇っていた大剣が拍子抜けするほど軽くなった。

「――およ?」

 何かがおかしい。具体的にそれがどうおかしいのかに気づいたのは、握り締めた剣の柄がへそと同じ高さになるまで振り下ろしてからだった。

 短くなっている。

 少し遠くにからんからんと乾いた音を立てて転がったのは、恐らくすっぱり両断された剣の片割れだろう。腰ほどまであった刃の全長は半分以上を失い、易々捉えられるはずだった獲物を目の前に空振りをしている。

 マジかよ。

 避けられないからって相手の武器を真っ二つにするとか、マジか。

 必勝の確信が強かったあまりに、剣士はすっかり次の一手を見失ってしまった。よろりと後ろへ下がりかけた無防備を見逃さず、肩ごとぶつかった相手と諸共床に倒れる。

 もはや剣だったものを握る気力もないP執事の上へ跨り、無口なQ執事がその動きを押さえていた。短刀の切っ先がPの喉元を冷徹に捉えている。

 

 あ、ころされる。

 

 不意に脳内を真っ黒に染め上げた思考に身を委ねながら、Pは向けられる殺意に見惚れた。

 あまりにも仕方のない成り行きで殺される。抵抗の発想すらないために呆気なく殺される。それ以前にどう足掻いても殺されてしまう。

 勝つとか負けるとか、最初から考えていやしなかったんだろうな。

 こいつは単に、俺を殺してみたかっただけなんだ。

 

 死に際に真理を悟るのはよくある事である。世に賢者が少ないのは、大悟に至った者達はそれを他者に伝える間もなく、目前に迫った死期へ追いつかれて息を引き取ってしまうからなのだ。

 旧友の顔をした死神は昆虫のような無関心を露わにし、命乞いすらしない決闘相手を見下ろしていたが、やがて――ふにゃり、と相好を崩した。ナイフを下ろすと、空けた片手で軽くPの額を小突く。

「あいたッ」

 まるで、これで満足したと言わんばかりの無害な仕草。立ち上がる彼は革製の鞘へ丁寧に得物を仕舞うと、ほやほや気の抜けた笑みと共に手を差し出してきた。立ち上がる助けに使って欲しいらしい。

 さっきまでの殺人鬼みたいな人物とはまるで別人だ。柔らかな白い手を握ると立ち上がり、痛む肩をほぐすように回す。

「んあー、また負けた! 今日は結構いいセン行ってたと思うんだけどなァ。これが本当の本当に命がけの決闘だったら、今日も俺、お前にやられてたよな!」

 通算で何回死んでいる計算になるのか。悲しいから数えないが。

 沈黙は肯定を地でいく友人は上品に一度笑ったきり。癖の強い金髪が跳ねている場所をみつけて、耳の高さにある相手の頭頂部を無遠慮に撫でて整えてやる。

「なあ、Qはさ。お前、ほんとは誰も彼もヤっちまいたくてしょうがないのに、結局誰も手に掛けないのって、何度も楽しみたいからなの?」

 指に絡む金糸を解きながら問う、応答はない。歩みも呼吸も乱れない。友人の横顔から窺える口元には、笑みさえ残っていた。

「人間って、死んじまったら生き返らねェもんなー。生きてる限りは何度でも殺せる。空想するのは自由だから、そうだろ? 俺はお前の想像の中で何回殺されてるんだろうなァ?」

 やっぱり応答はなかった。しかし、一度だけ流された視線が全てを語っていた。

 目は口ほどにものを言う。

 Q執事は確かに、どうして斯様な当たり前を聞くのかと、問い返していたのだった。