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彼は待っていた/真面目な次男坊と執事

 親父が執事を雇った。今時、使用人の一人でも雇わんと周りになめられるとか、餓鬼みたいな理由で。めっちゃ奮発するとか息巻いていた癖に、いざ雇用窓口に行くとまごつく姿が我が親ながら面白かった。帽子脱ごうとしてマフラーを先に外しちまうし。どういう順序だよ、まったく。受付のお姉ちゃんに笑われちまったじゃん。

 

 四苦八苦して契約した執事。写真で顔だけ見たら女の子みたいだとか一瞬思ったけど、実際に会ったら身長がデカかった。俺より背が高い。別にチビじゃない俺より高い。

 家業を継いで立派に紳士服店を切り盛りしている兄貴に代わって、裏方の事務や家の細々とした雑事は俺の仕事だ。燦々と注ぐ太陽。青々と茂る植物を横目に、後ろからついてくる執事へ屋敷の間取りを案内しながら説明する。

 

「――えーっと。ここで我が家の案内は最後だな。ここが倉庫。地下に階段が繋がってて、ボイラーもそこにある。ま、夏場の今はほとんど用事も無いだろうけど、一応な」

 こんこんと白い素っ気ない扉を軽く叩いて示すと、熱心にメモを取っていた執事は新たにページをめくり、文字を書き付けた。

『ご案内、ありがとうございました。こういった事は使用人の先輩方がしてくださるものかと』

「あー……いや、ウチって恥ずかしいけど、使用人って今まで雇った事ないんだよ。家の事は全部、お袋と俺がやってきて。たまに親父が手伝う程度でさ」

『さようでございましたか』

「まあ、お袋が亡くなってからは、ほとんど俺一人の仕事になっちゃったけどな」

『それは、お辛い事を伺ってしまいました』

「いいんだよ、もう随分前の話だし」

 なんか。この執事を見てると落ち着かない。

 顔立ちとか、体つきとかが中性的なせいもあるのか。それとも、別の何かの理由か。

 窓の外で忙しなく燕が翻っている。

 ついこの間、冬だったような気がするのに。

 

『ときに』

「……ん?」

『旦那様はどちらへ?』

「え?」

『こちらのお屋敷へついて、まだご挨拶をしていなかったと気づきまして』

「どこって、そりゃあ……書斎、かな。そういえば姿が見えないけど」

『書斎は二階でしたね』

「そうだけど。あ、おい。待てよ……!」

 いやなよかんがする。

 するすると影のように歩み出した執事を押し留めようとするも、指先はその身体にかすりもしない。仕方なく先を行く彼を追いかけて、床板の軋む廊下を走った。

 方々から雑草の伸びる、壊れかけた階段をのぼって。

 割れた窓硝子から夏の日差しが注ぐ渡り廊下を通って。

 ドアの外れた四角い枠の向こう。親父の書斎だった部屋に到着した。

 

『こちらにもおいでにならない』

 もはや手帳を見なくとも、執事が何を書いて、どんな事を伝えようとしているかがわかってしまう。

 きちんと席について事切れている親父は、もはや乳白色の骨となり朽ちていて、あちこちに穴が空いたスーツは苔むしていた。

『このお屋敷には、どなたもいらっしゃらない』

 

 ああ、そうだ。冬のあの日に執事を雇いに行って。市街地まで出て。契約を取り付けてからの帰り。俺達は馬車強盗に遭って。家まで押し入られて。親父の書斎に籠って。助けを呼ぼうとしたのに。

 ドアが破られて、親父は俺を庇って刺されて、そこから先はよく覚えていないけど、夢中でその悪漢に挑みかかった自分をなんとか思い出す。

 親父はぞっとするほど静かで動かなくなっていた。俺は俺でなんだか腹の辺りが異様に熱くて、痛くて、頭がぼうっとして。ああまったく床で寝てたら駄目じゃないか親父ったらだらしのないしょうがないから椅子に座らせて俺の腹から出ているナイフを抜いて潰れた片目をどうにかしようと撫でまわして何度も何度も何度も部屋があんまり寒いから暖炉まで行こうとしたのにべしゃんと倒れて前にも後ろにも進めなかったから眠る事にした。

 それで、目が覚めたらあの日、契約した執事が屋敷の扉を叩いていた。

 季節は夏になっていた。

 

「ああ、なんだ。そういう事か」

 暖炉の近くで事切れたらしい、もう一体の白骨体を見下ろす。

「あんた、わざわざ教えに来てくれたのか?」

 振り返った執事は唇の動きだけで告げた。仕事ですから、と。

「そっか。なんだ、同情とかしてくれたら、あんたも一緒に連れて行っちまおうと思ったのに」

 ぼんやりと呟くと、景色がゆらめいて途端に意味を無くしていく。執事はきっちりと行儀よく佇んで、見送りもしなければ引き留めもしない。

 廊下の奥からもう一人やって来るようで、それがなんだか、兄貴の背格好によく似ている気がしたけど。

 消えゆく幽霊の俺には、もう、よくわからなかった。

 

「――執事さん。すみません、無理を言って来て頂いて」

『いえ。元より締結したのは一年の契約で、未だ確かに有効でしたので。どうかお気になさらないでください、若旦那様』

「私ではどうやってもこの実家に入れなくて。これでようやく、空のまま埋めた親父と弟の棺に骨を入れてやる事ができる」

『何よりでございました』

「それで、執事さん。変な事を伺うようですが……その。この屋敷には本当に、誰もいなかったんですね? いや、気のせいだと思うんですが……さっき、話し声のようなものが聞こえた気がして」

 

『どなたもいらっしゃいませんでしたよ。この通り、私は筆談しか致しませんから』

 手帳を閉じた執事は、仄かに笑んでゆっくりと唇を動かした。

 

 それに、故人は何も語りません。