· 

来世で会おうよ/魔王と勇者と執事

 怪鳥の鉤爪に捕まっての空中散歩はお世辞にも快適とは言えなかった。急速に遠ざかる緑の森から、暗雲立ち込める魔王城へ。バルコニーまで様子を見に来ていた魔王の近くに墜落じみた着地を果たすと、騎士はぺいっと放り出された。

 白銀の甲冑を身につけていたので外傷は無いが、気分は著しく悪い。乗り物酔いという意味でも。

 今回の雇い主である少年魔王はさらさらと銀色の髪をなびかせた、少女のような風体だった。手にもった手鏡を難しそうな顔で覗き込んでいたが、よろめきつつ膝を突いた騎士に気づき顔を上げる。

「ああ。おかえり、騎士に擬態したボクの執事。首尾は上々みたいだね。――勇者のパーティーにはぐれナイトとして紛れ込み、いよいよ敵の本拠地へ乗り込むという直前に裏切る。キミはすっかり勇者の情報をボクに受け渡し、最終戦闘は仲間に裏切られた失意の勇者が敗れ、魔王の勝利に終わる。ベタだけど、いい筋書きだよね。まあ……それでも、勧善懲悪のこの物語《せかい》では勝てやしないんだろうけどさ。うん、うん。そんな顔しないでおくれ、それでも構わないんだよ。ボク、この戦いに負けて死んだら、次は現代のニッポン辺りに転生する予定だから。正義の味方を敵に回さず、適当にお金を稼いで、適当に幸せになる来世を送るつもりなんだ。だから、そのためにはさっさと勇者に攻め込んで貰わないと困るんだけど……」

 ほらこれ。見てこれ。

 繊細な細工の施された古びた手鏡を向けられ、騎士は立ち上がって鏡面を覗き込む。そこにはすっかり意気消沈した勇者が切り株に腰かけ、まったく動く気配のない様子が映し出されていた。

「ちなみにライブ映像なんだ」

 無駄に先進的だ。

 騎士兼執事は翡翠の瞳をまたたかせて、雇い主に視線で疑問を投げかける。これは一体どういう事なのでしょう?

「そんなのボクが聞きたいけどさ。多分、あれだよ。……キミが居なくなっちゃった事が大変な痛手だったんじゃないかな。いや、わかんないけど。魔王《ボク》に人間の繊細な機微なんて聞かないで欲しいし。おかしいなあ。どっちかと言うと、攫われた仲間を助けるのにこそ闘志を燃やすタイプだと踏んでたのに。……え? 音声? うん、ここのスイッチをポチっとすれば拾えるよ。ポチっとな」

 

『――れの、――ちゅうい――で』

「……不明瞭だね、距離があるせいかな。感度を上げよう」

『俺の不注意のせいで騎士が攫われてしまったんだ……!』

「おお。嘆いてる嘆いてる。地面に膝を突いてべしべし両手を叩きつけるのって初めて生で見るんだけど、人間界だとこれが永遠のトレンドなの? ちょっと興奮しちゃうくらい無様だね」

『俺は今すぐあいつを救い出しに行かないと!』

「まったくその通りだ。さあ早く立ち上がって……立ち上がったはいいけど、また切り株に腰かけちゃうんだね。ほんと一体、どういう……」

『今までの旅路、いつも騎士にナビゲートを頼んでたから……助けたくても肝心のルートがわからない……』

「え、そういう? 勇者って方向音痴なの? っていうかキミも駄目じゃないか。最終的にこっちへ寝返るのは確定してるんだから、独力で魔王城まで勇者がたどり着けないっていうリスクを残しといたらいけないんだよ。もう。根っからの奉仕精神があだになってしまったねえ。キミが傍に居る内はいいけど、なんでもかんでも全部面倒を見てあげたせいで、相手が自立できなくなってしまうのは、良くないよ」

『でも地図なら手元にある。道が分からないのは、あいつを見捨てる理由にはならない……!』

「よし、いいぞ。勇者ならそう言うと思った。ちょっとした想定外もあったけど、これで無事にこっちへ……」

『そうだ、俺はあいつにちゃんと言わなきゃならないんだ。居なくなってようやく自覚した、この恋心を!』

「――うん? ――あれ? 想定外がまだ続いてる感じかな? ちょっと執事、もとい白騎士くん。こっちに来てちゃんと説明して。どういうこと。キミ、あっちのパーティー内では終始男装して過ごしてたんだろう? 勇者とロマンスに発展しちゃったとか定期的な報告にも無かったじゃない。……初耳? わあ。勇者は熱血漢で爽やかな見た目に反してむっつりだったんだ。よしよし。じゃあ尚更、これから長々始まるだろう彼の独白に張り切って耳を傾けようじゃないか。あ。逃げたら駄目だよ、これはキミへの愛の囁きなんだからね、本人が居なくちゃつまらない、じゃなくて、お話にならないだろ?」

 

『あいつが自分と同じ男なのは分かっている……』

「正確に言うなら性別不明だから、一概に男とも言い切れないんだけどね」

『最初はただの友情だったと思っていた。だが、あの騎士が隣に居ると自然と心が安らいだ。何度も窮地を共に乗り越えた。困っている時は一番に手を差し伸べてくれて……作る飯も美味いし……どんな事でも相談ができた』

「ところで勇者ってば、背後に自分のパーティーメンバーも驚愕に満ちた顔で成り行きを見守っているのに気づいていないんだろうな」

『長い歴史を見ればけして多数側の恋愛観ではないのはわかっている! だがしかし、こうして先人と同じ結論へ至る他ない、好きになってしまったものは仕方がないと。例えこの恋慕が大衆の歴史に膾炙《かいしゃ》されてゆくだろう英雄譚から見れば些か異質であろうとも! 俺は勇者としてではなく、一人の人間として、同じく一人の人間である騎士に恋をした。後々まで語り継がれるエピソードは、適当に吟遊詩人が細部を改竄すればいいじゃないか。やりたいならそうするがいい。他人がそれで納得をして、この恋路を阻まなくなるならまったく構わない』

「熱烈だね。騎士くん、キミがひた隠しにしている異常性とか、息をするように他人を肯定して尽くす姿勢っていうのは、こういう一途で思い込みの激しい人間を大いに惑わすんだから、いい加減気をつけないと」

『そうと決まれば早く行こう。信用ならん魔王の事だ、あんな外道の所に一時だってあいつを置いておけるか……!』

「ボクが本当の雇い主なんだから、使用人に外道な事する訳ないんだけど。細かい事情はいいや、どうせあっちには聞こえちゃいないし。無事に勇者は一念発起したようだし。大方の筋書きに影響はない。……あれ、大丈夫かい? 酷く疲れた様子じゃないか。あともうひと頑張りだよ。キミには種明かしっていう大事な仕事が残ってる。勇者があれだけの重たい信頼を寄せているキミが、実は魔王の配下だったと知ったら、戦闘意欲は極限まで削られるよね。その隙を突いて、ボクが勇者を倒して大団円《ゲームオーバー》さ。……って、ついさっきまで考えてたんだけど……」

 

 くるくると表裏を弄ぶ手鏡をもう一度覗き込む。パーティーメンバーと一緒に地図と格闘しながらも、あえなく見当違いな方向へ進もうとしている宿敵に、魔王は一時だけ邪悪を脱ぎ捨てて笑った。

 

「このままだと、そもそも親愛なる勇者くんはお城まで辿り着けさえしないだろうからね。悪いけど、執事くん。頃合いを見計らって、戻って貰えるかな? あっちについたら、元の雇い主が誰かだったとか、自分は騎士じゃなくて執事だったとか、そういう要らない事は言わなくていいよ。……あはは、また難しい顔しちゃって。ボクは不意打ちなんかしなくたって彼に勝てる、そういう事さ。そりゃあ使用人のキミからしたら、主人には絶対に勝って欲しいのだろうけどね。言ったでしょ、ボクは別に負けてもいいんだって」

 再び怪鳥にむんずと胴体を掴まれる気配を感じながら、騎士兼執事は抵抗しなかった。それが命令なら、いかなる要望にも従うのが従者の鑑であろう。やがて、慌ただしい羽音と共に舞い上がる直前。魔王は晴れやかに手を振って、多分、こう言った。

 

「じゃあね。来世で会おう」

 

 できれば、平和な世の中の、平和な人々の狭間で。