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摩天楼の戦闘

 風が透き通っている、そこに紫煙が乗る。もうすぐ夕立が来るだろう、フィンはクロの背中を見つめ、そっと目を伏せた。

「上から見ると、ほーんとゴミゴミしてんのな」

 ばさばさ。黒いコートがはためている。蝙蝠がざわついているようだ、そんな唐突な連想がフィンの脳裏を過ぎった。大都会のど真ん中、摩天楼の屋上から彼らは町を一望している。直にやってくる夜を迎えるため、早くも電飾が輝き始めていた。眠らない都市、というよりは眠る事を選ばなかった都市というべきか。

 或いは、睡眠という行為自体を知らないのかもしれぬ。

 遥か眼下のアスファルトから立ち上る熱気と排気ガスが鼻を掠めた。風向きでも変わったか。髪を風になぶられながら、フィンはクロの隣に並ぶ。夕日が照り返してぴかぴかに光る柵に片手を乗せ、軽く息を吐いた。飛行機という技術の助けを借り、初めて空を飛んだ人間もこんな心細い気持ちだったろうか。

「ま。上も下もゴミゴミだけどな。なァ、フィン。そう思わねぇか」

 にかり、煙草を銜えたまま尖った犬歯を見せて笑うのはこの相方特有の感情表現だ。そこには歓喜と熱狂が混じっている。懐から取り出されたのは一枚の便箋、紙飛行機の形に折られてはいるが、それは確かに手紙だった。

 フィンは応じず、ただその視線を上空へ滑らせた。

 ばさばさばさ。

 空を覆うほどの黒い粒、それは確かに、蝙蝠の羽を持った悪魔どもだった。

 人類が文明の利器によって築き上げ、科学の恩恵に守られた虚飾の町など容易く食い潰さんとする異常現象である。それらは突如として広がり始めた暗雲に身を隠しながら、確実に迫ってきた。

「一人で行けるか」

「ご心配なく。貴方の方こそ、きちんと紙飛行機の主を保護して下さい。アレは全て私が食い止めます」

「そう言うと思った。任せとけーって、女のコのエスコートでこの俺様がトチるかっての」

 何時もどおりの軽口に背を押され、先陣を切る剣士は虚空に手を伸ばす。すると、その仕草に応じるかのように、瞬き一つの内に白銀の剣が空手に収まった。その感触を確かめるのと同時に、今まで寄りかかっていた柵に飛び乗る。危うげなく両足ですっくと立ち上がってみせる身のこなしに、背後からすかさず口笛が響いた。

「いよいよって感じだな。魔王の企みを阻止すべく奔走するお嬢さん。命からがら密告を紙飛行機に託して逃げ惑う。迫りくる大ピンチから颯爽と助ける勇者、俺達。――ロマンだねェ、そうこなくっちゃ」

 魔王は、居る。この現代においても、レトロな世界征服を掲げ、人知れず暗躍している。

「まったく、クロは本当に王道展開に弱いな。浮かれすぎて土壇場でトチらないよう、気を引き締めて」

「げ。お前、いっつも一言多いんだよ。やめろよな、フィンのお小言的予言、結構当たるんだから」

 だから必然的に勇者も居るのだ。

「あー。合図、いる?」

 内ポケットに手紙を仕舞い、代わりに拳銃を取り出しながら、ちらりとクロは相棒を見やる。フィンは振り向かない。ただ敢然と無数の悪意に対峙しながら、引き絞られた矢の如く今にも飛び出していきそうだ。

 問答の合間すら惜しいのだろう。

 聞こえないよう細く溜息を残し、銃士はひらりと身を返す。と、今まで群れているだけだった悪魔が一斉に降下を始めた。数の暴力、雲霞と称する他ない襲撃。

 しかし、迎え撃つ勇者には好都合だった。翼を持ち得ない人にとり、獲物があちらからやって来てくれるのだから。

 

 魔王も勇者も居る。ようこそ、正史には残らない現実の裏側へ。