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END:勇者の運命

 最早、紛糾の声すら途絶えた。渦巻くのは無限の悪意。外殻を脱ぎ捨てて放たれた、吐き気を催すほどの濃厚な害悪である。

 その渦中にあって、クロは空を仰いでいた。祈りのためではない。忘我の横顔には無数の擦り傷が見て取れる。しかし、色違いの瞳に宿る光だけは未だ潰える事なく輝いていた。絶望の中にあっても希望を諦めない抵抗は、この勇者の美徳でもあるのだ。

 全ては崩壊に向かっているが、まだ幕が下りた訳ではない。その証拠にクロの手には未だ戦う手段が握り込められているし、その背後には頼もしい相棒の気配も健在である。

 風の暴力が吹き荒ぶ終末の中、涼やかな問いかけが響いた。

「――クロ。例え、私達が敵と定めていた魔王がどのような形であったとしても必ず打倒すると、あの日誓い合いましたね。その決意はまだ、折れていませんか」

 それは逃避の余白を残した優しい問い。フィンは言っているのだ。貴方の意志が挫けてしまっているなら――砕けた闘志をかき集めている間、その無防備は己が剣をもって死守すると。クロよりも強く信じているのだろう。彼はどのような困難が目前に立ちはだかったとて、昔日の誓いを簡単に投げ出すような男ではない。全幅の信頼に、理屈は不要だった。剣士の手にする白刃の如き真っ直ぐな想いへ応える代わりに、クロは手にしていた拳銃の弾倉を慣れた手つきで入れ替える。

「無数の悪意の集合。いや、違うな。これは悪そのものなんだろう。生き物には元々善意も悪意もない。それは全て周囲から取り込むものだし、染められたり、塗り替えられていくものだ。周りに存在するなら、その発生源も必ずある。人間を悪事へと転ばせる紐は一体どこから伸びているのか? その答えが、コレだったって訳だな。

 姿もない、形もない。空気が渦巻いてる事でやっとそこに在ると認識できる。その癖、元気だけは有り余っちまってる厄介者。コイツに明確な意思なんざなくっても、それに触れた奴らが勝手に傷つけあって共倒れさせる。ああ、そうだな。あえて名前をつけるなら魔王だ。魔の暴君だ。そんなら……倒さなくっちゃな」

 マガジンの装着を終えたクロと、刃を正面に構えなおすフィンの仕草が重なり、鋼の音が同時に鳴った。そう、勝利を望む事と相手の打倒だけを目指すのとでは意味合いが全く異なる。彼らが望むのはご都合主義の華々しい勝利《ハッピーエンド》ではなかった。

 全ての文明が土へと還り、舞い上がる砂塵を払って両雄は並び立つ。かつて夢見た理想と、目を背け続けた最悪の結末とを等しく見据えていた。最早戸惑いも躊躇いもありはしない。最初から何もかもが分かっていた気さえした。宿敵はどのような正体であれ強大であり、自分達は限界まで追い詰められる運命であり、ピリオドの先には何も続かないであろう事を。

 一つの物語《せかい》が終わる。

「じゃ、行くか」

「ええ、何処までも。貴方の銃弾が届く果てまで」

 傷だらけの勇者達は、軽やかに駆け出した。