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まいごの大鏡

 漆黒の蔦が絡んだ大鏡の前で、バアドは腕を組んでいる。階段の踊り場にあるその鏡の面もまた、黒一色に染められた館内を写して暗黒を湛えていた。

 吸血鬼の紅い瞳が細く、細くなる。童子を思わす純真さと、賢者を想わす老獪さとが同居した佇まい。ふと、その双眸は背後に現れた女中を捉えた。駒鳥の被り物をしたメイドは、慎ましやかに主の背後に控えている。用事があるのかと暫く発言を待っていたものの、沈黙が横たわるばかりだった。夢見るように押し黙る相手に耐えかねて、バアドは振り返りながら問う。

「何かあったのか、女中」

「いいえ、御館様。ただ、鏡の世界へ行かれるのかと思いまして、お見送りに」

「見送りなんか必要ない。今は行かないからな」

 主人からの淡白な返答に、女中は些か落胆したように組んでいた指を解いた。咄嗟に何事かを言いかけたが、それも無表情な鳥の仮面に隠されて傍目には分からない。

「……大切なご血縁でしょう?」

「ああ、そうだな」

「なら何故、探しに行かれないのですか。妹君は鏡の世界に消えてしまったのに」

「確かにあいつは鏡の世界に消えた。けど、だからって鏡の世界にずっと居るとも限らないだろ」

 そこで、バアドはモノトーンの外套を揺らして笑った。

 子供のように。或いは理の深淵を覗き込んだ知者のように。

「案外と近くに居るのかもしれないしな。灯台もと暗し。そう思わないか?」

 女中は一度ぶるりと体を震わせたきり、それ以上どんな反応も見せなかった。ただ、彷徨う視線はバアドを過ぎて、黙し続ける仄暗い鏡を凝視している。虚像を見せる銀の水面、そこに映る女中は確かに、嗤っていたのだ。