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いさかう貴賓室

 館のそこかしこで物騒な音がしている。机や椅子から書棚まで、館内に存在する調度品を残らずひっくり返して回っているかのような騒音だった。

 全てが黒で統一された影の館で、主であるバアドは安楽椅子の上で沈黙している。今は深夜。普段なら書斎で気に入りの本でも読んで存分に夜を愛でているはずなのだが、この異常事態においてはそれも叶わない。

 ベッドサイドにある黒電話が鳴った。バアドは溜息を盛大に零してから受話器を取った。電話のあちら側が騒ぎの渦中らしい。ずどんだの、ごどんだの物騒な雑音を縫って、側近である執事の声が届いた。

「御館様、ご無事ですか」

「ああ、まあな。で、侵入者はどこまで進攻してる? お前の所まで来てるってことは、思ったとおり真っ直ぐ書斎を目指しているらしいな」

「御館様が目当てなら、まず主が居るだろう場所を優先的に目指して然るべきでしょうしね。まさか最初から、来客用の貴賓室には行きますまい。思惑通りという訳ですな、おっと」

「どうした」

「どうもしません。隣に居た女中が一人、うっかり消されました。おや、気づけば此処も随分手薄になってしまいました。残存戦力は、私を入れて5名です」

「倉庫にある武器は十分行き渡ってるだろ。あと特殊能力を持ってる奴らには能力限定解除を許可してる。それでも追っつかないか」

「ええ、敵ながら天晴れです。というかあちらのお客様、どう考えてもあれです。御館様」

「なんだ」

「我らの天敵です。つまるところ、光の使者です。美しきハニエル。あの方に触れようものなら消し飛びますし、視線一つでも消し飛びます。光に晒されれば消えるが影の道理。移動速度なんて文字どおり光速ですし、どうにかして頂きたい。ほら見て下さい、あの純白の翼を」

「電話越しに何を見ろっていうんだお前は」

「あ」

「今度はなんだよ」

「私の首から下が吹き飛びました」

「よくそれで喋れるな」

「じきに頭も消えそうなので、その前に。――御館様、どうかご無事で。そして」

「執事」

「私達のお給料を上げてくださ」

 そこで音声はぶつりと途切れた。後には、波形の消えた心電図のような電子音が一定の断続を刻むばかりだった。残されたバアドはあっさりと電話を元の場所に戻すと、その紅い双眸をたった一つある出入り口へと向ける。

 同時に、響くは涼やかなノック。

「――入れ」

「失礼します」

 それは耳慣れた使用人の声ではなく、たった今、彼らを屠った侵入者の挨拶だった。丁寧に開かれたドアからやって来た招かれざる客は、にっこりと微笑んで背に負う純白の翼を折る。その様は成る程、正しく天使だった。床に届くかと思われるほど長く、緩く波打った金髪を揺らし、少年とも少女ともつかぬ人物は静かに一礼する。

「ご無沙汰しています、バアド卿。突然の無礼をお許し下さい。どうしても貴方に会いたくなってしまって」

「こっちは別に会いたくなかったけどな。用件はそれだけか? それだけのためにこの館を荒らしまわったとでも?」

「光に晒されれば消えるが影の道理。しかし、光が去れば蘇るも影の道理、です。バアド卿」

「蘇ることが消してもいい理由になんかなりはしない。消える寸前には必ず、誰しも恐怖を感じる。それをお前は、石を川に投げるみたいに気安く、おれの使用人達を消しやがって」

「それはあまりに感傷的です。貴方は自分の手足に対して、些か感情移入をしすぎですよ。しかし、それも僕は優しさと認識しています。卿の優しい所は大好きですから」

「黙れ。いいか、はっきり言っておくぞ。わたしは、今、怒っているんだ」

 明確に宣言されたその事実。寧ろ今まで相手の怒気に気づかなかった事こそが不思議だが、真実、この天使はバアドが憤っているなどと思いもしなかったのだ。短く息を呑んで、みるみる碧眼を曇らせると、ぺたりとその場に膝をついた。

「申し訳、ありません。ああ……何時から僕は貴方を怒らせていたのでしょう……ただ会いたかっただけなのに、何がいけなかったのですか」

「全部だろ」

「全部です、か。それでは改善のしようもありません。だってまたじきに、貴方に会いたくなってしまいます。例え近づくだけで貴方の存在が霞んでしまって、見つめるだけで苦痛を与えてしまうと分かっていても。いっその事、バアドさんが僕の血を吸って、吸血鬼にしてくれれば」

「断る。お前は自分の気持ちに正直すぎるな。もう少し他人の都合とか考える事を覚えた方がいいぞ」

「でも、大体他の者が僕の都合に合わせてくれたものですから。今更どうしたらよいのか」

「甘やかされすぎだろ、この天使……そこまで教える義理はおれにないよ。もういいから、早く帰れ。その後光がもう少しマシになったら、今度は茶くらい振舞ってやる」

「有難う御座います。ふふ、貴方も結局、甘やかして下さるのですね。今日はお騒がせ致しました、失礼致します」

 立ち上がりながら微笑む天使に、バアドは肩を竦める。文句の一つでも垂れてやろうと思ったのだが、余計な事を言ってまた泣き出されても困るのだ。ばさりと翼をはためかせて消えた相手に、ようやく緊張の糸が切れる。肺に溜まっていた息を吐ききる途中、足首をくすぐる感触に視線を落とした。

「……また要らん置き土産を」

 足首に寄り添う一枚の羽を踵で遠ざけて、バアドも部屋を出て行く。荒れ果てた館の内部に、痛む頭を抱えつつ。