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安堵の紅色

「大将、お待たせいたしました」

 

 慎ましい声に呼ばれて振り返れば、盆の上に湯飲みを二つ乗せたルテナが目に入る。畳みに突いていた掌にうっすらと痕が残っていた。通路の端っこ、ひっそりと息を潜めるようにしてこの和室が存在する。

 思いつきのまま、或いは何ものかの囁きに導かれるまま、この本部は増改築を続けていた。今も現在進行で、時折派手なトンカチの音が聞こえてくる。

 昨日まであったと思っていた部屋がない。その逆も然りで、ハテこのような部屋があったろうかという事もザラである。そのようなために、この本部の全容を正しく知る者は上層部に属するごく一部の高官に限られていた。

 建築におけるお約束を全て無視し、欲望のまま増殖と消滅を続ける建物。もはや部屋の数はゆうに百を超えているが、しかし無数にある部屋や通路のどれもに正しい出口はない。正規の出入り口と呼べるものは正面玄関のたった一つきりである。それ以外の外に通ずると思しき扉は全てカモフラージュなのだ。ある戸を開ければ壁に行き当たり、三階の突き当たりにあるドアを開くとその先に続く道はなく、いきなり外へ投げ出されるような構造になっていたりする。

 広大な上に複雑怪奇な迷宮の様相を呈している癖をして、出入り口は一個しか存在しない。その異様さを指してか、何時からかこの本部は鳥籠、鳥籠の城と呼ばれるようになっていた。

 中世欧州を思わす様式の客間から、この茶室のような和風の趣を取り入れた部屋も存在する。床の間にかけられた黄ばんだ掛け軸の中では、梅の木にとまった鶯が声なき声で春を告げていた。

「お茶請けが何もないのでは味気ないと思って、琥珀を用意しました。少しお時間を頂いてしまいましたが……」

「時間ならいくらでもある、気にする事じゃねぇさ。手を煩わせて悪かったな、ルテナ。何時もの執務室で休憩を取るのも飽きちまってよ」

 労いの言葉にさっと顔を赤らめてはにかむ部下に、ドクスは鷹揚に笑みを返す。琥珀と呼ばれた氷を削りだしたような和菓子を摘むと、かりっと齧った。途端に口の中へ広がる控えめな甘さを、濃い緑茶で洗い流す。中々に絶品だ。

「貴重な休憩時間にご一緒できて光栄の至りです、大将。……お邪魔でなければ、もう少し、お傍に居ても宜しいですか?」

「勿論だ。お前の気が済むまで居ればいい。仕事熱心なお前の罪悪感が、鬼になって追いかけてこない内はな」

 悪戯に言葉を弄する大将に感化されてか、生真面目な中尉も珍しく軽やかな笑顔を見せた。

 鬼ごっこ、隠れ鬼。誰にも見つけられない、二人だけの隠れ場所。