· 

ソルトバニラ

 そして人魚姫は、愛しいひとを守るために自ら泡になったのでした。

 

 追いかけていた物語は、けして幸福とは言いがたい結末をもって締めくくられた。

 シアンは絵本を閉じる。図書室には余暇を埋め合わす娯楽を求めて、兵士の姿がちらほらと見られた。読書を邪魔しないよう静けさを強要するひんやりとした空気に紛れて、囁かれる会話。その全てとは言わないが、ほとんどは絵本を手にしたシアンの話題だった。

 確実にあげる功績とは裏腹に、吸血鬼という異端の種族ゆえ厄介者扱いされている彼らである。おまけに軍内では鬼とまで言われるほど苛烈な振る舞いで知られるこの軍曹が、衆目を集めぬはずがない。

 しかし当のシアンは全く我関せずといった風で、熱心に読み耽っていた児童書を何食わぬ顔で書架へと戻した。

 誰もが遠巻きに彼を眺めている。それはどこであっても見られた風景であったし、当たり前のものだった。そもそもの出自が忌み嫌われ、満月が近づく度に恐れられていた人狼の末裔である。いちいち気にしていたら、満足のいく生活など送れなかっただろう。暫し人魚姫の筋書きを吟味する彼の背中に、きさくな手が触れた。

「読書かい、シアン軍曹」

「……ルテナ中尉」

 人狼と吸血鬼の恐るべき混血は、目に留めた中尉の微笑へ穏やかに笑い返す。図書室に満ちるざわめきは今や囁きの範疇を超えて、騒がしいと感じるまでになっていた。

 けれどそれさえ渦中の二人には届かない。喧騒に背を向けて、肩を並べあう二人はささやかに語り合う。

「君をここで見かけるなんて珍しいから、つい声をかけてしまったよ。なにを読んでいたんだい?」

「人魚姫を。絵本など生まれてこちら一度もまともに読んだ事がなかったものですから、つい没頭してしまいました。……叶うなら、物語の主人公を救い出したいと思うほど」

「そうか。根が優しい君らしいね、軍曹」

「いいえ、単に似ていると思ったんです。人魚姫と、貴官が」

 

 叶わぬはずだった願いを、魔女の魔法によってそそのかされる。

 その代償によって結局、本願は叶わないばかりかその身も泡と消えた。大切な王子を守らんがため。

 しかしその事実に想い人たる王子は気づく事がなかった。

 永遠に。

 

「……私は人魚姫のように純粋じゃないよ。脚が痛もうが、声がなかろうが、恋しい人を絶対に諦められない。きっと姉達にも見捨てられるだろうね。その強欲がために、短剣の出番はないはずだ」

「それが貴官の本心なら」

 伸ばした指先は、寂しげな絵本の背表紙をなぞる。

「優しいのは紛れもなく、あなたの方だ」

 人魚姫に幸せを。