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おしまいに代えて

 ドア越しの会話、覗き窓を通して網膜が交信する。

「おはよう」

「ええ、おはよう。今日の朝日は一段と眩しいみたい」

 彼女はその部屋から出てこようとしない。ドアノブにかかった札は常に就寝中、ルームメイドさえ寄せ付けない。そんな君が喋る様は、立ちはだかる城壁の上から恐る恐る来客を見下ろすお姫様のよう。

「マヨア、今日はどんな本を持ってきてくれたの?」

「何時もと同じ。次も、そのまた次も、今回だって何処かで聞いた御伽噺だよ」

 ニュースペーパーを入れるための小さな小さな四角い穴に、一冊の本をねじ込む。落ちる音がしないって事は多分、向こう側でその子は両手で受け止めたんだろう。ありがとう、一段とか細い声が聞こえた。

「遠くない日に、この部屋は貴方がくれた本で一杯になるわ」

 その日がまるで待ち遠しいように、声音は弾んでいる。

 もしも僕だったら、所狭しと本の山がそびえてる部屋は嫌だなあ。圧迫感があるもの。でも、それをこの子は充足とみなしているらしい。

「それで君が幸せなら、いいよ」

 こつん。一度だけ木製の扉に額を当ててから、ゆっくりと離れる。名残を惜しむ気配が、向こう側で揺れた。

「次は、いつ、来てくれるの?」

「朝日が昇る頃に」

「……いつの朝日?」

「今日みたいに、吸血鬼が棺桶から出ないくらい、眩しい日に」

「きっとよ」

 ホテルの一室でかわされる曖昧な約束。

 あやふやだからこそ、その口約は破られる事がない。優しい矛盾、主観だけで片付けられる都合の良い解釈。

 さよならの訪れない、奇妙な逢瀬に背を向ける。また今度、日の光が眩しい朝に会いましょう。