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鋏屋の兼業

  • 巨大化した赤ん坊

 アタリしか入っていないはずのくじ引きでハズレの札を引いたら、客は店へ事情を話しに行くだろう。場合によっては代金を返してくれと申し出る。看板に偽りがあったなら、それは当然の流れだ。

 割れにくい事を謳い文句にした姿見が、箱から出した時点で既に粉々になっていたりしたら。完熟保証のついたフルーツが絶望的に酸っぱかったとしたら。天まで届くと書いてあった豆の木が膝丈ほどにも育たなかったら。どんな侵入者も追い返す三つ首の猛犬が寝てばかりいたら。他人の心を掌握する奇跡の宝石が、使い手を洗脳する偽物であったとしたら。誰でも手にしただけで魔法が自由自在と書いてあった杖が、ただの棒きれだったとしたら。

 その通り。どんな世界でも不良品はあり得る。卸と仕入れ側の思惑が決定的にすれ違っている、消費者が説明書や注意書きを読まないなんて事もある。実によくある。だから、剣と魔法の幻想的な世界でもクレーム対応は避けられぬ事態であったりもする。鋏屋は案内屋に導かれた現場で呆然と空を仰いでいる。空を突かんばかりの威容を誇るのは、実にご機嫌そうな赤ん坊だった。――服用したものの質量を倍加させ続ける薬を飲み干して巨大化した赤ちゃんが、家の屋根を突き破って頭を出し、窓から手足を出している。家屋ではなく、風変わりなベビー服のようだった。いつからここは不思議の国になったのか。

 餅は餅屋に。道案内は案内屋に。鋏は鋏屋に。彼は鋏屋であって、そして相対している巨大な幼児は鋏ではない。専門外という尤もな主張を聞き入れる人間は生憎とここには居ない。案内屋は既に仕事をし果せたという他人事の顔で数歩後ろに下がり成り行きを見守っている。やるしかないのだが、どうしたものか。この空想都市で店を持ってから、幾度となく舞い込んできた不条理な頼み事。クレーム処理のたらいまわし。担当すべき人間が不在であるがゆえに立つ白羽の矢。毎回思う。今後、これ以上の難題は出てこないだろうと。赤ちゃんの無邪気な笑い声が大地を揺らしている――そして新しい案件に立ち向かう度、その認識は刷新されていくのだった。

 

  • 逃げ出した天馬

 翌日。新聞の一面を飾る写真には巨大な赤ん坊の姿と、その足元で日本刀を腰に帯び身構えている鋏屋の姿がばっちり映っていた。これではまるで彼が起こした不祥事のようだが、ちゃんと文頭に例の薬品を扱っている薬屋の顔写真も載っていたので、幾分溜飲が下がる。今日は本業へ集中しよう、鋏を打って、鋏を研いで、鋏を売るのだ。朝刊を放り投げて店先を見る。

 入口から申し訳なさそうに店内を覗く、金髪の執事と目が合った。同じ商店街に店を構える古物屋が雇った従者である。いやな予感がした。が、このおっとりとした執事に親しみを感じている鋏屋は、胸中の不安を悟られまいと努めてにこやかに声を掛ける。

「やあ、執事さん。おはよう。朝からどうしたんだ? 古物屋のおじさんからの頼み事? ――羽の生えた馬が逃げた? 貴族のお嬢さんを背中に乗せたまま? ――空に?」

 飛べとでもいうのか、ただの人間である鋏屋に。しかし、実際に難題をふっかけられている自分より、こんな無茶な言伝を頼まれてきた使いの彼が哀れに思えて仕方が無かったので、結局断る事などできなかった。手ずから作り出した鋏達を見回してから席を立つ。まるで洗うのを後回しにすると決めた使用済みの食器を見遣る主婦のように、その視線はありふれた哀愁を漂わせていた。

 

  • カウボーイ気取り作戦

 ああ、そちらにいらっしゃいましたか、ミスター。そうです古物屋です。ひょっとしてご息女をお探しですか? ええ、お嬢さんに関しては何の問題もありません。先日こちらでお買い上げくださった天馬が遊び相手になってくれているでしょう。まったく、問題なく。

 あ。ちょっと、ミスター、申し訳ない。もう少しこちらに。そうそう。あの庭木の枝ぶりが素晴らしいこと。――何か視界の隅を過ぎった気がする? 制御不能の空飛ぶ馬と、それを投げ縄片手に追いかけている和服姿の、鋏屋らしき男?

 はっはっは。ミスターはご冗談が上手い。そんな訳ないでしょう。お嬢さんの天馬は、お嬢さんと一緒に安全な牧場で、安全な低空飛行で、安全に遊んでいらっしゃいます、ああ! いけない! ミスター、ちょっとここはいけません。なんというか、方角とか、角度とか、いわゆる風水的なものが。お屋敷の中で話をしましょう、それがいい、絶対いい。

 できれば窓の無い部屋で、音とか悲鳴とかが聞こえない場所が宜しいでしょうな。