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菓子屋の試作

  • いちごケーキ

「ああ、また失敗しちゃった」

 菓子屋は早朝の厨房で首を傾げる。一体なにを間違えたのだろう。素材の選別? 時間? 最後の仕上げ?

 普段は締まりのない笑顔ばかり浮かべている店主は、この時ばかり大真面目に出来上がりの悪いケーキを見つめていた。

 まあ、いいや。溜息をついて手を伸ばし、材料を掴もうとする。よそ見をしていたせいか、するりと指先から逃げかけたいちごを捕まえて、まな板の上に乗せた。

 

  • 不始末疑惑

 商店街の一角にある菓子店が休業となって一週間が経った。破天荒ではあるが仕事に対しては真摯な人物だったので、特別な事情を明かさずに店を閉めるのは珍しい。馴染みの商売仲間から刃物の研ぎを頼まれるごとに、鋏屋はその異変を断片的に聞き集めていた。

「今は観光客も多く書き入れ時だろうに、菓子屋が休むとは珍しいな」「業績も悪かなかったみてえだし、夜逃げは無いだろうなァ。店の中には居るらしいぜ。夜になると厨房にだけ灯りがつくから」「なにか、まずいことでもあったのかもね。菓子屋くん、ああ見えて真面目だから。不始末をひとりで抱えこんじゃってるのかも」

 偶然にも一堂に会した案内屋、古物屋、鏡屋の視線が示し合わせたように、店番用の台に収まっている鋏屋へ向けられた。今更縮こまっても効果は薄い。寧ろ三人の視線が深く突き刺さるばかりである。――圧迫感が凄い。手元の鋏を組み立て終えてから、こちらとて旅行客向けの商品を揃えるのに忙しいのだと告げる。が、しかし。「菓子屋の店がわからないなら案内するぞ」そういう話ではなく。「店に入る手段が無いっていうんなら、中古の鍵開け道具を格安で売ってやんよ」そういう話でもなく。「ええと、身だしなみ用の鏡が必要なのかい?」まったく違う!

 車座となって談笑を楽しみながら、圧力をかけるのも忘れぬ三人衆に負けた。先導の必要はないと言ったのだが、随伴すると言って聞かぬ案内屋を従えて店を出る。太陽はゆっくりと傾き始めていた。

 

  • 脚のはえたケーキ

 降り立った厨房の白い床は一面真っ赤に染まっていた。背後の硝子窓から入って来る夕暮れの光があんまり赤いせいだろう。店の正面口も勝手口も閉鎖されており、応答もなかった。非常時だと自らに言い聞かせて、鋏屋は厨房へ通じる窓をこじ開ける。慎重に慎重を期して入り込んだ鋏屋とは反対に、案内屋はひらりと気軽な動作で侵入を果たした。それでも物音の一切がしないのは、このガイドマンがかつて名のある騎士として戦場に出て、こうした潜入にも慣れているからだろうと考える。

 物音が聞こえた。戸棚や作業台が迷路のように入り組んでおり、見通しが悪い。籠っている菓子屋が出した音だろうと見立てたが、予想を裏切って走ってきたのは、上半身を巨大なショートケーキに突っ込んだ子供、のようだった。身長、細い脚からして間違いない。異様であるのには違いないのだが、滑稽さが勝って途方に暮れる。反射的に腰の刀へやった手を下ろし、鋏屋は膝を折った。視界をケーキで塞がれているだろうに、その子はまっすぐに鋏屋達の方へ向かってきたので、受け止めてやらねばと思ったのである。裸足の子供が辿り着くまであと少し――そこで背後からひょいとケーキ人間を抱き上げる腕が見えた。菓子屋だった。

「あれ、どうしたの鋏屋? それに案内屋まで」「どうしたもこうしたも。書き入れ時に店を閉めているのが心配だったから、様子を見に来てやったんじゃないか。なにか不始末があったのなら、事情を聞くぜ」「ああ違う違う、そういうのじゃないんだよ。ちょっと新しいケーキ作りに行き詰まっちゃって。本格的な旅行シーズンまでには間に合わせたいんだけどなあ、そういう訳でボクは徹夜で頑張ってる最中なんだ」

 なるほど、それでその子供は何なんだ。鋏屋が続けて問いかける前に案内屋が割って入った。事務的に会話を終わらせて、入ってきた窓からさっさと出て行ってしまう。すっかり置いてけぼりを食った鋏屋も慌ててそれを追いかけた。「なんだ案内屋、急にどうしたんだよ」面食らって問いかけると、ガイドマンは瞑目と共に語り出した。「菓子屋が、何でも好きなものをお菓子に変えられる魔法を持っているのは知っているだろう。彼は無機物だけでなく、生き物もケーキやプティングに変えられてしまう」それは商店街の仲間全員が知る所だ。今更何を。そこで、武士然とした風体の鋏屋はさっと顔を青くして言葉を失った。案内屋の淡々とした結論だけが通り過ぎていく。「生き物でもケーキにできるんだぞ。人間とて例外ではないだろう」