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鏡屋の素顔

  • ひみつの顔

 黒子のような布の覆い、長い前髪。季節を問わず厳重に面貌を隠している鏡屋の素顔を知る者は少ない。皆無と言ってもいいだろう。深く考えなければ済む話なのに、一度気になってしまうときりが無い。しっかり隠されているものほど意味深で、どうしても見てみたくなるのだ。人情としてそれはわかる。

「だが、その相談をどうして俺にしに来るんだ? ここは鋏屋だぞ、探偵事務所じゃない」

 研ぎ終わった鋏のビスを締めて組み立て作業を進めながら、鋏屋は呆れた様子で作業台の向こうにいる男女の双子を見遣る。違いと言えば髪の長短、纏う衣服がズボンかスカートかという違いだけで、背格好や表情、声の高さに至るまで鏡映しのように同じだった。――客の要望に応じて一日限りの恋人役を演じるのが、恋愛屋を名乗る双子の生業だった。いや、実は三つ子、五つ子、或いはそれ以上いるのかもしれないと囁かれている。離れた場所で違う客と出かけている姿を、商店街連中は何度も目にしているからだ。

 彼らは手を繋ぎ合いながら、無邪気な声を揃えて笑う。だってこんな相談事に乗ってくれるのは、優しい鋏屋さんしか居ないんだものと。

 

  • れもんの味

 恋愛屋が提供するのは恋や愛の持つ甘酸っぱさのみであり、そこから先やその前には手を出さない。朝食を済ませてから客と待ち合わせをして、夕食を楽しんだら客と別れる。恋愛屋は台帳を見ずとも、全ての客の思い出を語る事ができる。いつ、どこで、どんな話をしたのか、細かな好みに至るまで。自分の受け持った客だけではない、彼らは全員が、これまでの客の情報を全て共有し把握しているのである。

 まるで機械の子機が、親機に蓄積された情報を写し取るような。恋愛屋ははらからが何人いようと、一人の人間であろうとする。それぞれの個性など不要であるらしく、一定の精度を保った量産品でいる事を最上とした。

「お客様によっては、ちょっとどじな子、何においても完璧な人、お母さんみたいな恋人、弟みたいな恋人って色々好みが違うから。個体差があるのは仕事の時だけだな。僕達は結構その辺りに苦労するんだよ。お客様が好きって思えるような子にならないと、恋をして貰えないでしょう?」そうそうと頷き合う速度すら同じである。鋏屋は頭の後ろを片手で掻きながら結論を求めた。それで、その話が鏡屋の顔とどう繋がるのかと。

「鏡屋さんは、色んなお顔になれると聞いたわ」互いに手を握り合いながら、双子はにゅうと目を細めた。「目の前に居る人の好みを聞かずとも分かって、どんな容姿も写し取れるんだって」

 

  • かがみの中

 その話を聞いてから、恋愛屋はすっかり意気消沈したという。客の好みを汲み取る彼らの芸当は努力の賜物だが、それを自分達よりも巧くできてしまう人間が居るとわかって自信が無くなってしまったとか。そればかり考えてお客との会話もぎこちなくなる、仕事に精が出ない。つまらない事でミスを頻発する。

「……だから確かめてこいって、なァ」

 これではただの使い走りである。ぼやきながらも鋏屋の足は鏡屋の店先に辿り着いていた。引き戸を開いて店内へ入る、両側へずらりと並べられた手鏡が射しこんだ陽光を一斉に反射して煌めいた。

「鏡屋、いるか? 邪魔するぞ」そう声をかけながら歩を進める。店の奥、一際大きな三面鏡の前に人影があった。薄闇の中で思い出したように輝く金髪――振り返ったその人物は、翡翠の瞳を持った馴染みの執事だった。

 

  • ほんとの所

 結局その日以降、何度鏡屋を訪ねてもなぜか例の執事が居るばかりで、肝心の店主には会えなかった。だが鋏屋の機嫌は上々である。親しくなりたいと思っている相手と何度もばったり出くわせていれば、誰でも嬉しくなろう。恋愛屋には事の次第を正直に話した。するとなぜか、双子はにんまりと頬を緩ませ顔を見合わすと、礼を告げて出て行ってしまったのだった。

 結局なんだったのか。まあ問題が解決したなら良かったのだが。

 鋏屋は新しく仕入れた舶来の事務鋏の荷を解きながら、頭の片隅に引っ掛かっている何事かを手繰り寄せる。なにか忘れているような。そこで、はっと気づいた。

 鏡屋は色んなお顔になれる、と恋愛屋は言っていた。目の前に居る人の好みを写し取るのだと。つまりあれは――自分が執事だと思って話し込んでいた相手は、鏡屋だった訳か。いやしかし、それにしては身振り手振りも全て、自分の記憶にある通りだったのだが。考えても考えても答えには行き当たらない。しかし結局、鋏屋はここ数日の真贋を問いに鏡屋へ今一度出向く事だけは、ついぞしなかったという。