· 

護衛屋の逡巡

  • 鋏屋相談室

 素焼きの湯呑みを両手で包み込む。ふと煎茶の水面へ、どす黒い赤が混じったように錯覚した。護衛屋は目を瞠るが、すぐに景色は正常な現実を取り戻す。

「大丈夫か?」

 菓子鉢を手に対座へ戻ってきた鋏屋に、少女は首を振って大丈夫ですと呟いた。机上へ置かれた朱塗りの器にはざらめ糖の煎餅が盛られている。白い、細かく砕かれた骨のような砂糖。

「案内屋さんのことが、よくわからないんです」溜息と共に呟かれた言葉。鋏屋は相談事の続きを促すように、ゆるりと湯呑みを傾けた。

 

  • 二重の取り引き

 土地勘の必要な仕事においては、案内屋を頼る。全ての地図を頭に叩き込んでいると言うべきか、地図そのものが人の姿と意思を得たと言うべきか。彼の先導があればまず間違いは無く、不測の事態における抜け道や迂廻路も心得ているので頼もしい。更に付け加えるなら、嘗ては国王陛下直属の騎士団に所属していた案内屋は腕も立つ。職務に忠実で、ことごとく私情を排した上で行動に出る案内屋が問題を起こすのは稀だ。味方である内は心強い。裏を返せば、その真意を確かめるため対峙した際には、厄介な相手でしかない。

 ついさっき終えたばかりの護衛依頼において、彼女が行動を共にした案内屋は二重の要請を受けていた。ひとつは護衛屋に警護を依頼した男の道案内。もうひとつは、その依頼人の命を狙う掃除屋から、ある狙撃ポイントまで男を誘導しろというものだった。護衛屋はそんな事情を知る由も無く、道半ばで突然立ち止まり、行く手を塞いだ案内屋に驚いたという。人気の無い、高いビルに囲まれた一角。吹いた風と共にぞっとするような殺意の込められた視線を感じ、護衛屋は反射的に依頼人の周囲に自らの盾を展開した。直後に、ライフルの弾が黒鉄に弾き返される。下手人はどこだ。狙撃手を無力化すべく、目視で捉えようとした少女の耳に、信じ難い異音が届く。危険に晒された依頼人を守る盾が紙屑のように潰れて、丸められてしまった。耳障りな金属の断末魔。それは案内屋が行使した破壊の魔術である。ガイドマンの冷徹な青い瞳が盾を見つめ、前に出した手をぐっと握ると黒鉄の壁が次々にひしゃげていった。なぜ、案内屋が。一瞬の愕然が致命的な隙となり、第二射が空気を裂いた。

「一発目を外して動揺したのか、その二発目の精度は落ちていました。依頼人の男性が本能的に身を捩ったタイミングも良かった。結果的に誰も怪我をせずに済みました。凶弾はそれを最後に途絶え、殺気も消えたのです。深追いをすると自分の身が危ういと、狙撃手も悟ったのでしょう」

 取り乱す依頼人の男性は裏切りの案内屋へ向かい、ありとあらゆる罵詈雑言を並べ立てた。聞いていて気分のいいものではなかったが、信用の上で先導を頼んだ男に、危険な場所へ導かれていたのだから無理もない。護衛屋は言葉も無く立ち竦んでいた。案内屋は何か弁明をするだろうか――そっと窺い見た彼は。怖ろしいくらいに、いつも通りだった。嘆願もせず、動揺もせず。唯一、前金は全額お返しするという事務的な説明のみを置いて去って行ったのだ。

 

  • 人にあって人あらざる者

「私が案内屋さんに対して強く違和感を覚えたのは」少女は幼さの残る面貌へ似合わぬ苦さを滲ませながら続ける。「もし私の護衛対象の暗殺が成功していたとしても、きっと失敗した今回と同じ、無関心な態度を取るのだろうなと想像できてしまう所でした。依頼人が死のうが、命を拾おうが、どちらでもまったく構わないような。彼にとっては面識の無い男性であったでしょう。しかし見ず知らずの人であっても、自分の行動のせいで死んでしまったら、私は辛い。幸運にも生き延びた男性は、一生案内屋を怨むと言っていました。でも、案内屋さんは、なにも感じていなかったのです。いつもの、平静を湛えたお顔のまま」

 彼女の手元にあった冷めた湯呑みに、新しいお茶を注ごうと急須を手に取る。客人の世話をしてやりながら、年若い青年店主は涼やかな切れ長の目を更に鋭く眇めた。「他人様を道具のように扱うのは無礼だが、世の中には業物のような人間も確かに居るんだよ。切れ味の鋭い名刀、ただただ、それだけに特化したから突き抜けちまっている。刃物が切れるのは当たり前だ、人間が人間らしく振る舞うのは当然だ。だが切れすぎるのも、いかなる場面だろうが理性的でいられるのも、予想を裏切る奇天烈な事態だ。人間なのに、人間の道理に合わない奴。そういう手合いは」温かな湯気を立ち上らせる湯呑みを少女の方へ押しやりながら、鋏屋は椅子へ座り直しながら続ける。

「信用はしても、過度な信頼を預けない方がいい。相手を頭から信じるんじゃなくて、見極めた自分の目を信じる。それなら、思い通りの結果にならなかった時にそいつを責めなくて済むからさ。これから先も一緒に仕事をしていく商売仲間を、疑ったり厭わなきゃならないのはしんどいだろ」商店街の面子は、疑心暗鬼の矛先を向け合う仇同士ではなく、共に利を分け合う仲間なのだから。

 相手を信じるのではなく、相手を信じようと思った自分を信じろ、と。それきり護衛屋は黙して、熱い煎茶を飲み下しながらその言葉の意味を考えていた。

 

  • 彼女の結論

 それから数日も経たぬ内に、護衛屋は再び案内屋の前に立っている。鼓笛隊のような純白の制服を纏った案内屋は、目の前に現れた少女に分かりづらく目を丸めた。先の二重依頼の件で、彼女は多大な衝撃を受けていたようだから、こうして共にこなす仕事を受けはしないだろうと考えていたのだ。そんな彼の内心を察したのか、護衛屋は引き結んでいた唇を緩める。

「先日の事を私なりに考え直しました。私は心のどこかで、護衛の仕事を、案内屋さんにも頼んでしまっていたのだと。客を護るのは私の仕事、道先を案内するのが貴方の仕事。あの時だって、お互いにただそれを忠実にこなしていただけでした。なので、お互いに疑念や警戒を抱く必要は無い」それに、と一晩寝ずに考えたとっておきの冗談を披露すべく、少女は片手を腰に当てた。「結果的に依頼人を護る事ができたんだもの。次だって、何があってもきっと上手くやりおおせられるはずです」

 だから大丈夫。用心さえ忘れなければ、貴方と仕事をするのに恐れは無い。眩い若さを放って瑞々しく言い切った護衛屋を、案内屋は依然として驚いた様子で見守っていた。そろそろ少女が気まずそうに指を組んだのと同時に、青年の無骨な掌が頭上に置かれる。予期せず触れられた手の意図を掴みかねて、撫でられるまま体を左右に揺すられている。晴れやかな笑みを見せる案内屋は、どこにでも居る好青年のようだった。

「君の覚悟に敬意を表する、護衛屋。ありがとう。今日の仕事も宜しく頼みたい」ようやく悪い夢から覚めた、幕切れを報せる感謝と共に。晴れ空を輝かせる陽光を背に受けて、少女も笑い返した。「こちらこそ、宜しくお願いします」