四行小説/空想都市アルファ

 この街は観光都市として栄えた。栄誉ある一番最初の文字を名前に戴いて、誰もが煌めく休日と、よりよい自らの未来を夢見てやって来る。  ここに来て住み着く人、暫くの避暑旅行を楽しんで帰っていく人、ここで生まれた人。役場のお偉方だって、路地の隅で流れる雲を日がな数えている智者だって知らない。...
 商店街の一角に店を構える古物屋の店主は化け猫なので、よく様々なものに姿を変えている。中でもよく目につくのが少し高慢な風情のある青年貴族で、いかにも見た目が良いため出歩く度に小さな騒ぎになっている。...
 オルゴールの音色が曲の終わりを待たずに途切れてしまう時は、決まって悪い事が起こった。嵐の夜に馬を駆って出て行った父親が戻らなかったり、友の訃報が音も無く郵便受けへ落ちていたりした。...
 幼い頃、母がとっておきの指輪を見せてくれた。石座に真っ赤なルビーが輝く価値物で、黄味の強い金色の柔らかな色が印象的だった。がっちりと宝石を掴む爪をしげしげと眺めながら、子供時代の鋏屋は考えたものである。――石だけならもっと綺麗なのに。金属もそりゃ綺麗だけど、別々に見ていた方が美しく感じるなあ。これをつくった人は、どうして透明な石と不透明な金属を一緒にしようと思ったのだろう?  解せなくて、大人になってからいくつか、安い指輪を買っては金具をこじ開けてばらした事がある。一度ならず、二度、三度も。外す時は躍起になる癖に、いざ透明な宝石がころりと金属の戒めから解かれると、どうも思っていたような感動がなかった。指輪の石は単体で愛でるに小さすぎるし、扱いに困る。ひしゃげた指輪の金属は言うに及ばず、まったく魅力的ではない。  そう、だから多分、指輪は指輪のままでよかった。違うものが一緒に在る状態こそが良いのだ。  すっかり馴染みとなった旅の執事から、一本のナイフを預かっていた。研ぎは本職ではないのだが、少し無理を言って、どうか自分に研がせて欲しいとその刃物を借りてきたのだ。しかし、どうしたのか。あの執事が持っていた際には、もっと煌めいて美しく見えたのに。無言で流水にくぐらせながら砥石をあてていると、突然得心がいって、鋏屋は微笑んだ。――ああ、そうか。指輪と同じだ。ばらばらにしたらいけないんだ。そうとなれば今度は、あの執事さんにナイフを握って貰って、それを自分が研ごう。細くて白い指が指輪の爪のように白銀の冴えた刃物を掴まえる、その手首を引き寄せて、自分が刃を磨くのだ。素晴らしい一瞬を想って男の瞳は至福に和む。問題があるとすれば、この独善的な企てを、いかにしてかの執事に伝えるかどうかだが。
「執事って、いくら位の稼ぎがあれば雇えるんだろうなあ……」...
「よう、旅の執事さん。今日もお散歩か?」  鋏屋は刃を研いでいた手を止めて、通りの向こう側をぼんやり歩いていた燕尾服を呼び止める。古物屋の店先に置かれた瓶を眺めていた青年の翡翠色をした瞳が向くと、手を振る鋏屋へ応じて道を渡り始めた。ここ数日続いていた雨もあがって今日は快晴、人の出も多く絶好の商売日和だ。...
「枝を倒した方向に進めば間違いはないね」 『それは必ず迷うという意味で仰っているのでしょうか?』 「自分の家に戻る道こそが正しい道だなんて、そんな素敵なこと誰が言ったんだろう」 『確かそれは、昨晩の僕の寝言だったと思いますよ』
 雨上がりの空をゆっくりと鯨が泳ぐ昼前、点々と道路に続く水溜まりを追って宿を出る。  小さな水面を覗きこむと、青空を背景にした自分の隣に、三つ編みの少女が映ったが、踊るような足取りで姿を消す。  顔を上げて見回しても辺りには誰もいない、この子は雨後の水鏡の中でだけ生きられる幻なのだ。...
 古ぼけたトランクを足元に置いて、執事は長旅ですっかり凝り固まった体を解すべく伸びをした。  到着した駅は人の行き来もまばらだ、ホームの内部にある喫茶店には開店の札が掛かっているが中に客が居る気配は無い。...